LOD(動画あり)

イメージ 1

BS開局11日間無料 で“WWEヴィンテージ・コレクション”てのやってた。

レッスルマニア26で引退したHBKことショーン・マイケルの特集だったんだが、その中でLODの映像がほんの少し出て来た!!
いや~~やっぱり、かっこいいな~~~
 
ちなみに...“LOD”わからない方~~~?
ロード・ウォリアーズ”って言えば素人でも聞いたことあるでしょ??
 
 
 
それぞれ「クラッシャー・フォン・ヘイグ」「ザ・ロード・ウォリアー」のリングネームでデビューしていたマイケル・ヘグストランドジョセフ・ロウリネイティスが、1983年NWAジョージア地区(ジム・バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリング)のレスラー兼ブッカーだったオレイ・アンダーソンのブッキングでタッグを結成。マネージャーにはプロレスラーを引退したポール・エラリングが就く。当初はエラリングが率いていたバズ・ソイヤージェイク・ロバーツキングコング・バンディザ・スポイラーアーン・アンダーソンヒール軍団「リージョン・オブ・ドゥーム」の一員としてデビューした。
マイケルとジョセフはリングネームをそれぞれロード・ウォリアー・ホークロード・ウォリアー・アニマルとし、タッグのチーム名は1981年に公開された映画『Mad Max 2: The Road Warrior』の世界観からザ・ロード・ウォリアーズと名付けられ、外見のイメージも同映画に登場する荒くれ者を踏襲。初来日時には「シカゴ用心棒をしていた」「貧困の時代にはネズミを食べていた」などと宣伝された。
両者とも顔にペインティングを施し、頭髪をアニマルは「モヒカン刈り」、ホークはそれと対を成すように「逆モヒカン刈り」にした。これはホークの顔が優しすぎるのをカバーするためだったという。入場時は巨大な棘の付いたアメフトのプロテクターをコスチュームに、サードロープの下から滑り込むようにリングインし、コールも受けずにそのまま暴れ回る試合が多かった。しかし、ファイトスタイル自体はあまり凶器攻撃などは行わない正統なもので、ヒールのポジションにありながら、次第にファンの支持を獲得。今までにない、ヒールとベビーフェイスを融合させた新しいスタイルの確立に成功する。試合は常に秒殺勝利であり(彼らの試合時間は(3を180のように)秒単位で実況されていた)、そのインパクトと存在感から圧倒的な人気を獲得するようになった。
1983年にジョージア地区でデビュー後、NWAナショナル・タッグ王座を通算3回獲得。1984年からはAWAに移籍、当初はジョージア時代と同様にヒールのポジションだったが、人気が高まりベビーフェイスに転向。その後はジム・クロケット・プロモーションズを経てWCWのリングにも上がり、日本には全日本プロレス新日本プロレスSWSに来日。WWF(現・WWE)に参戦した際は、NWAジョージア時代のユニット名であるリージョン・オブ・ドゥームを名乗った(当時、WWFには同じく「ウォリアー」をリングネームとするアルティメット・ウォリアーが大スターとして活躍していたため、ビンス・マクマホンがチーム名の変更を要請したという)[1]。その後のアメリカプロレス界の激変を受け、NWA、AWAWWFの三大メジャー団体の世界タッグ王座を制覇した史上唯一のタッグチームとなった。
アニマルの途中欠場や解散・再結成の紆余曲折を経て、いずれのリングでも大活躍したが2003年にホークが急死したため、事実上の解散となった。その後アニマルは、2005年ハイデンライクをパートナーに新生リージョン・オブ・ドゥーム(LOD2005)を結成、WWEタッグ王座を獲得している。
2011年、ホークとアニマルのオリジナル・ロード・ウォリアーズで初代マネージャーのポール・エラリングと共にWWE殿堂に迎えられた。
 
                            (ウィキペディアより引用)
 
 
 
明日は長男の新人戦だ...
今年の目標は“県の試合で1勝する事” 頑張って欲しい!
 
今日で確か32課が10周年だよね? おめでとさん