第35回全日本シニアバドミントン選手権大会に行ってきました。(愛知県)
23日(金曜日)の早朝6時30分に車で出発しました。
東名高速、いきなり、まさかの事故渋滞で出遅れましたが、
海老名辺りからスムーズに、4時間半位で会場(スカイホール豊田)に到着しました。
長男が、一年生の時にお世話になった顧問のA先生の30歳ダブルスの応援です。
A先生のマジの試合を見れるとあって、家族で楽しみにしていました。
自分たちが到着した時間は、ちょうど二回戦(一回戦勝利し)が始まる前だったのでグッドタイミングでした。
A先生の対戦相手は、静岡県代表のダブルスで昨年のこの全日本シニアで3位になっているそうです。
試合開始、最初のラリーをスマッシュ、アタックで決めると「うぉ~~っ!」と雄叫びをあげる、A先生。
すげぇ気合いが入ってました。
その後、2点3点差で推移しつつ1ゲーム取られました。
2ゲーム目も一進一退の攻防、最後は取られてA先生のペアは負けてしまいました。
その後、A先生と久しぶりにお話しすることが出来ました。
「俺は、中学校の部活引退した後も高校で活躍する為、毎日ランニングしてた。」
「坊っちゃん(先生は、長男をこう呼びます)、あの高校はやめといた方がいいよ…」
「かっこいいところ、見せられなかったなぁ」
いやいや、すげかったです!
ほんの数分でしたが、お会いできて嬉しかったですし、試合に間に合ってホント良かったなぁ。
スカイホール豊田を後に、宿(半田市)に向かいました。
ナビで20キロ以上の移動距離があったので、途中で良さそうな店を見つけたら「お昼を食べよう!」という事になりましたが、なかなか見つかりません。
半田市に向かえば向かうほど、田んぼと大きな工場しかないのでした...(大げさか)
奇跡的に(砂漠の中のオアシス的な)、食事処を発見。
そこで愛知に入って初めての食事をする事が出来ました。
愛知と言ったら、手羽先?うなぎ?なんだかよくわかりませんが、
自分は、数十年ぶりにきしめんを食べました。
とても懐かしい味がしました。
食事を終え、再び半田市に向けて砂漠を進んでいきます...
都会と違って高いビルや建物がない為、運転していると西日が眩しくて仕方ありません。
イライラしながら運転していると、宿泊先のホテルに到着しました。
初日、45歳ダブルスに出場していたS戸さん、I橋さんも同じホテルに宿泊しているので
帰りを待って、晩御飯をご一緒させていただきました。
帰りを待って、晩御飯をご一緒させていただきました。
ホテル周辺もこれといった食事処がなく、とぼとぼ歩いて駅の方まで出て中華料理店に入る事にしました。
自分は、I橋さんとは以前から面識はありましたが、深くお話ししたことはなかったので、少し不安でしたが、その不安はほんの2、3分で吹き飛びました!
「どうも、はじめましてI橋と申します。」
から始まり、あっという間に中華料理店2階の座敷はI橋ワールドに包まれたのでした。
S戸さん、うちら家族5人の少人数でしたが、かなり濃い食事会を堪能する事が出来ました。(まだ一日目か...)
さてさて、二日目。24日(土曜日)
いよいよ、45歳シングルス当日です。
喘息の症状が酷く、夜は一時間おきに目が覚めてあまり眠れませんでした。
初めての全日本シニア本戦ですし、緊張もあったかも知れません...
昨日は、アルコールも控えていましたが朝、起きて下痢も酷かったです。(大事な試合の朝はいつもですが...
S戸さんの車の後ろについて西尾市に向かいました。
朝は朝で、田んぼと大きな工場しかない地域、朝日が尋常ではないくらいに眩しいのでした。
有料道路を使い、なんとか30分くらいで西尾市中央体育館に着きました。
第9会場となるここは、バドミントンコート9面の小さな体育館でした。
入口で受付をし参加賞を貰うと、「あぁ、本当に全日本シニアに来たんだなぁ」と長年の思いが込み上げて来ました。
自分は、I橋さんとは以前から面識はありましたが、深くお話ししたことはなかったので、少し不安でしたが、その不安はほんの2、3分で吹き飛びました!
「どうも、はじめましてI橋と申します。」
から始まり、あっという間に中華料理店2階の座敷はI橋ワールドに包まれたのでした。
S戸さん、うちら家族5人の少人数でしたが、かなり濃い食事会を堪能する事が出来ました。(まだ一日目か...)
さてさて、二日目。24日(土曜日)
いよいよ、45歳シングルス当日です。
喘息の症状が酷く、夜は一時間おきに目が覚めてあまり眠れませんでした。
初めての全日本シニア本戦ですし、緊張もあったかも知れません...
昨日は、アルコールも控えていましたが朝、起きて下痢も酷かったです。(大事な試合の朝はいつもですが...
S戸さんの車の後ろについて西尾市に向かいました。
朝は朝で、田んぼと大きな工場しかない地域、朝日が尋常ではないくらいに眩しいのでした。
有料道路を使い、なんとか30分くらいで西尾市中央体育館に着きました。
第9会場となるここは、バドミントンコート9面の小さな体育館でした。
入口で受付をし参加賞を貰うと、「あぁ、本当に全日本シニアに来たんだなぁ」と長年の思いが込み上げて来ました。
観客席に移動し暫くすると参加選手が続々と集まって来ました。
そして定刻になると、淡々と試合順にコールされ、特に練習時間もないまま試合が開始されるのでした。
S戸さんが、1順目に入ったので、試合を気にしながらアップしていました。
自分は、待機所にコールされるまで、3~4回はトイレに行ったでしょうか(お腹が痛い)...
コールも気にしていなく、自分から待機所に降りて行くと、すぐに試合開始のコールがあり、コートに向かいました。
コートに入り観客席を見上げるとK原さん御夫婦が、(早朝の新幹線で)応援に駆けつけてくれたのでした!
相手は、広島県のサウスポーの選手でした。
S戸さんが、線審についていたので自分の後ろにはコーチが付く事がなく試合が始まりました。(S戸さんかサトちゃんについて欲しかった)
え~~結果から言うと、21-8 21-12で大敗を喫してしまいました。
相手も強かったですが、喘息の症状で呼吸がきつく、もう少しラリー出来ればなぁというのが悔いです。(ま、言い訳になってしまいますが)
こうして、自分の初の全日本シニア(全国大会)は、あっさり幕を閉じたのでした。
また、この場所に戻って来れるように頑張ります。
自分は、毎年毎年予選から厳しいですが、次は、『全日本シニアで一勝!!』を目標にやって行きます。
K原さん御夫婦と一緒に撮影。
応援ありがとうございました。サトちゃんと結婚する前からのお付き合いです。
応援ありがとうございました。サトちゃんと結婚する前からのお付き合いです。
なんか、口では言い表せないくらい感謝の気持ちでいっぱいです...
うちのS戸さんと一緒に...
なんだかんだで、S戸さんとも付き合いが長いんです。
今回、45歳シングルスで神奈川県代表として三○台クラブから名を連ねる事が出来たのは、本当に誇りに思います。
なんだかんだで、S戸さんとも付き合いが長いんです。
今回、45歳シングルスで神奈川県代表として三○台クラブから名を連ねる事が出来たのは、本当に誇りに思います。
さて、早々と試合が終わってしまったので
うちら家族は、西尾市周辺に繰り出す事にしました。
とは言え...
道の駅くらいしかなく...
とりあえず、昼食とお土産を買う事にしました。
ちなみに、ここの何気ない普通の❝生姜焼き定食❞でしたが、めちゃくちゃ美味しかったです!!
なんだっけ?道の駅の名前も忘れた...
夕方宿に戻り、S戸さんと別会場で試合だったI橋さんを持って今宵も晩御飯をご一緒させていただくことになりました。
昨日、目星を付けておいた❝うなぎ屋❞に集合です。
うちのチュンはためらうことなく3.000円のうな丼を注文していました。
ま、数年ぶりの家族旅行ですし、許してやるか...
リン茶は、エビフライ定食...ここうなぎ屋だぞ。リン茶はうなぎ食べられなかったか?
長男は、気をつかって、うなぎのなんとか石焼なんとか。
さあ、今宵もI橋ワールドが全開しておりました!
何を話したか覚えていませんが、二日間にわたり、家族で大笑いしました。
うなぎを食したのも忘れましたが、本当にお腹いっぱいです!!(勘弁してくれ~~)
ホテルに帰って来て、朝まで咳が酷くまたまた眠れませんでした...(アルコールも入って余計に)
さて、25(日)の最終日です。
せっかくなので、各年代の準決勝、決勝を見に行こうという事になりました。
(会場はウイングアリーナ刈谷)</
75歳以上ダブルスに出場のKさんに久しぶりにお会い出来ました。
その後、少し試合を観戦してからS戸さんとI橋さんに別れを告げて、ウイングアリーナ刈谷を後にしました。
早めに愛知県から脱出しないと大渋滞にはまると思ったのです。
12時40分くらいに出発して、予想通りの大渋滞。
家に到着したのは、21時前くらいでした。
あわただしく過ぎてしまった(三日間の)久々の家族旅行でした。
サトちゃんも子供らも楽しめたかなぁ?
神奈川の背面、3着作ってしまいましたが、着る機会がなかったな…
いつかの少年に言ってあげたいです。
その少年は、中学校3年時、中央大会をかけた代表決定戦、ファイナルゲームの一点差で負けてしまい出場出来ませんでした。
学校自体は強い中学でしたが、少年は団体戦のメンバーにも入る事がほとんどありませんでした。
その後、高校でも目立った活躍もありません。
「信じて、コツコツやっていればいつかきっと良い事があるよ。(31年後だけどね…)」
来年は、本戦会場が、福島県だそうです。
うちのおかあの故郷です。
頑張って、うちのおかあを連れて行ってあげたいです。
明日から、また頑張ります。
「修行とは、出直しの連続なり」
だらだら長くなりましたが、以上です。
75歳以上ダブルスに出場のKさんに久しぶりにお会い出来ました。
「今回、予選通った要因は?」(Kさん)
「~~~~~だったんです。何も考えずラリーしました。」(俺)
「それ、一番大事だよね...」(Kさん)
そんなやりとりをしつつ...
その後、しっかり優勝されてました!!(さすがです)
早めに愛知県から脱出しないと大渋滞にはまると思ったのです。
12時40分くらいに出発して、予想通りの大渋滞。
家に到着したのは、21時前くらいでした。
あわただしく過ぎてしまった(三日間の)久々の家族旅行でした。
サトちゃんも子供らも楽しめたかなぁ?
いつかの少年に言ってあげたいです。
その少年は、中学校3年時、中央大会をかけた代表決定戦、ファイナルゲームの一点差で負けてしまい出場出来ませんでした。
学校自体は強い中学でしたが、少年は団体戦のメンバーにも入る事がほとんどありませんでした。
その後、高校でも目立った活躍もありません。
「信じて、コツコツやっていればいつかきっと良い事があるよ。(31年後だけどね…)」
来年は、本戦会場が、福島県だそうです。
うちのおかあの故郷です。
頑張って、うちのおかあを連れて行ってあげたいです。
明日から、また頑張ります。
「修行とは、出直しの連続なり」